コスタリカから、今だけの小さな物語

ダスキンあいのわ基金障害者リーダー育成海外研修派遣事業 第38期派遣生 コスタリカ留学中の全盲女子大生です!

雨の話

 今日、インターンに行くために家を出た瞬間、思わずあっと声をあげた。

 空気が、春みたい!

 ガイドブックには、サンホセの気候は常春と書いてあるみたいだし、気温といい風の強さといい、たしかに日本の春みたいだと、今までも思っていた。

 でも、何か足りないと感じていたのは、これだったんだ!

 空気が、潤っている。湿り気を帯びて、肌をおし包んでくる。

 そして、今まで聞いたことのない、空気を細かくしんどうさせるような音が辺りに満ちていた。日本で秋に聞かれるカンタンという虫の音を、たくさん集めてて途切れなく力強くしたような。何かの昆虫か、それとも何かコスタリカならではの生き物か?

 

 ほんの数日前まで、サンホセの空気はからからだった。先週には、あまりの乾燥に、家のすぐそばの森で山火事が起きた。夜の間のことで、私はちっとも知らなかったのだけれど、8haも焼けたのだと、翌朝ハウスメイトが教えてくれた。

 

 それが、一昨日から、午後の短い時間ぱらぱらと雨が降り、雷も鳴っていた。「来るぞ来るぞ!」そして、明らかに空気が違うぞと感じた今日、午後にものすごい雨が降った。お昼を食べているときはカーッと暑かったのに、打って変わって、容赦のないスコールが、雷を引き連れてやってきた。今日1日オフィスの電気系統の調子が悪かったのは、これが近づいていたせいじゃないかと思う。

 

 サンホセの大地は、明らかにこの雨を歓迎していた。鳥たちが高らかに歌い出した。本当に、声のボリュームが上がり、鳥の種類さえ増えたようだった。濃厚な雨の香りを湛えた空気は、埃を洗い流されていつもより清冽だった。乾ききった土が水を吸い込む音が、今にも聞こえそう。朝聞こえた謎の音もまだ続いていた。こういうのを、「命の気配」と言うのかもしれない。

 

 私がコスタリカに着いたときは、雨季から乾季への移行期で、午前と午後1回ずつスコールが降っていた。その合間はピカンと晴れる。思い切り泣いて思い切り笑う子供みたいだった。ここには雨季と乾季2つの季節しかないから、丸々1つの季節をここで過ごし、何かが一巡したような気持ちだ。4つの季節が徐々に移り変わっていく日本に比べて、ここでは2つの季節のコントラストが鮮やかだ。

 

 以上、雨の季節の到来を感じた日の、ちょっとした記録。

わたしがコスタリカに戻ってきた理由

 コスタリカのおいしいコーヒーを3杯飲んで、一種異様なテンションになっているときに、思い立った。

 「そうだ、ブログを始めよう!」

 

 私は去年の11月にコスタリカにやってきた。最初の2ヶ月は、南部の街ペレスセレドンにある障害者自立支援センターモルフォに置いていただき、今は首都サンホセに移って、UNDP(国連開発計画)コスタリカオフィスでインターンをしている。大学の交換留学制度ではなく、1年休学して、ダスキンあいのわ基金障害者リーダー育成海外研修派遣事業という奨学金プログラムのお世話になっている。22歳、全盲の女子大生だ。

 

 留学先にコスタリカを選んだ理由をよく聴かれるけれど、直感というのが正直なところだ。両親が昔チリに住んでいたこと、自然や動物が大好きなこと、アマゾンの先住民の文化に関する本を読んでいたことなどから、もともと中南米の自然豊かな地域に憧れがあった。

 

 初めてコスタリカに行ったのは、今から2年前、2017年春のこと。20歳の記念と称し、単身、国立公園の環境保護ボランティアをしに行った。朝早く、野生の猿や蝶を追って山に入り、動物たちが食べ残した木の実の種を森から拾ってきて植樹し、日没には洞窟の前でコーモリを待つ。毎朝決まって5時半に、ホエザルの朝の雄叫びで目を覚まし、野外のテーブルで蝶を捕まえるための網を縫っていると、50センチ横を歩き過ぎるイグアナに遭遇する日々。樹齢200年を超す岩のような巨木の並ぶ原生林に満ちていた、みずみずしい空気。恐ろしい湿気と静寂、時が止まっているように感じた洞窟の中。私たちの周りに自然があるのではない。自然の中に私たちがいる。常に何かが葉っぱを食べているような音、鳥の羽ばたき、たわんだ枝が跳ね返るような音が聴こえていた、圧倒的な存在感を持つあの公園の自然は、雄大というより濃密という形容がふさわしい。

 

 同じく私を虜にしたのは、この国の人たちの暖かさとのんびりしたライフスタイルだった。空き時間には(ときには仕事中でも)のんびりコーヒーを飲みながらおしゃべりし、ふらりとお互いの家を訪問し、「今日はサッカーの試合を見るから」と、午後からのアクティビティを休みにしてしまったりする。働いていないのではない。良く暮らしていくためにしている仕事に、追われてきりきりしていたのでは本末転倒だと知っているような気がする。朝まで水が出なくても、バスが遅れても、みんなのんびり構えている。そしてそのメンタリティで、私たち外国人にも自然体で接してくれる。とにかくみんなすごくフレンドリーだ。

 

 私に対しても、余計な心配をすることなく、それでいて私の気持ちを汲み取って尊重してくれた。忘れられないのは、一緒に山道を歩いているときに言われた、「気をつけて。まあ転んだって大したことはないけどね、ちょっと痛いだけで」の言葉。その気楽な感じが心地よかった。私が一緒に遊べるよう、オセロのようなゲームのこまにナイフで触って分かる傷をつけてくれたことも、本当に嬉しい驚きだった。お礼を言うと、「あなたが嬉しければぼくも嬉しい」と。こんな人になりたいと思った。

 

 初めての海外一人旅だったけれど、寂しい想いは一度もしなかった。自然が好き、人と触れ合うことが好き、なんでも自分で体験したい、急ぐことが大嫌いな私には、本当に居心地がよかった。古典的な感想かもしれないけれど、地球の裏側の人にこんなに共感できるなんて、とびっくりした。そして、「途上国」という言葉が嫌いになった。

 

 そんなわけだから、帰国後しばらくは、「コスタリカに戻りたい!」と逆ホームシック状態。それから1年半かけて、要領は悪いながら、いろんな情報を集め、大勢の人に助けてもらって、ようやく、今度は10ヶ月の予定でコスタリカに帰ってきた。目標を立ててそれに向かって努力するというようなことが大の苦手な、超行き当たりばったり人間の私が、あれだけの期間一貫して同じことを言い続けていたのだから、よっぽどこの国に惹かれていたんだろう。

 

 そうして始まった2度めのコスタリカ生活も、気づけば5ヶ月を過ぎた。遅まきながら、この国で私が体験したこと、出会った人、感じたことなどを、楽しい話もそうでない話も、できるだけ自然体で綴っていきたい。明日になったら忘れてしまっているかもしれない、今だけの、私だけの、小さな物語を、のんびり丁寧に残していけたらいいな。