コスタリカから、今だけの小さな物語

ダスキンあいのわ基金障害者リーダー育成海外研修派遣事業 第38期派遣生 コスタリカ留学中の全盲女子大生です!

何か大きな物

 こちらに来て、1つ念願が叶った。巨大な木の中を水が流れる振動を感じることができたのだ。

 

 日の出の瞬間、大きな木の幹に耳をつけていると、木が地面から一気に水を吸い上げる音が聞こえるよ。わたしにそれを教えてくれたのは、もう20年以上オーストラリアで先住民アボリジニの人々と暮らしを共にしている、日本人の友人だった。今からかれこれ5年ほど前のことだ。それ以来、いつかその音を聴いてみたいと思い続け、冬の夜明けに家を抜け出して、1人近所の林に分け入り、手近な木に抱きついていたこともあった。

 

 その音をついに聴けたのは、オサ半島のジャングルで、時間は明け方ではなく夜更けだった。それは同時に、「大きな木」の概念を覆された瞬間だった。あまりに太くて、両手を広げて抱きついたところで、なんとなく丸みを帯びた壁でしかない。周りに鬱蒼と他の植物が生い茂っていて、一周回ってみることができなかったので、実際どれぐらい太かったのか、正直よくわからない。ああ、オーストラリアの友人も、これぐらいの巨木をイメージして言っていたんだなと思った。

 

 音、音と書いてきたが、より印象に残っているのは、肌で感じた振動だ。木の幹に押し当てた手のひらやほっぺに、ひんやり湿った樹皮の下を絶え間なく流れる水の感触が確かに伝わってきた。水道管や水撒きホースを触ったときのようであり、鉄やゴムではなく樹皮を間に置いている文、水流の感触はより柔らかかった。そして、その巨大な幹のどこを触っても、水は同じに流れていた。それもなかなかの速さで。

 

 この文章をあの木が読んだら、「なに、そんな当たり前のことを」と枝をすくめるに違いない。森の動物や鳥たちも、みんな知っていることなのだろう。夜の森で、木に頬を押し当てていたときには、その木が水を吸い上げて生きているということが、わたしの中にもごく当たり前に染み込んできた。しかし一度森を後にして、改めてあの感触を思い返すと、やはり信じられない気がしてくる。あの中では、動植物たちの感覚が「普通のこと」としてまかり通っており、それを知らないわたしは完璧な異邦人だった。

Roberとの出会い

 こちらに来て、たくさんの心に残る出会いをしてきたけれど、ここまでインパクトの強い出会いは初めてだったかもしれない。世の中、いろんな人がいるものだ、本当に。

 

 彼、Roberを私に紹介してくれたのは、以前ここにも書いた、バスの中で私を手伝ってくれた夫婦だった。いや、こちらに来てすぐの頃に彼の話をモルフォの人たちから聞いていて、いつか紹介してもらおうと思いながらなんとなくタイミングをつかめずにいたのだ。「視覚障害者でジャガーの研究をしているブラジル人がいる」こんな話、気にならないわけがない!

 

 バスで助けてくれた夫婦に連絡先を教えてもらい、早速サンホセから車で30分ほどのところにある彼らのオフィスを訪ねた。オフィスと言っても、小さな農場の中の家を借りているだけ。敷地内には、コスタリカの国の木であるグアナカステを始めたくさんの木々が生い茂り、門を入ると羊が挨拶しによってくる。オフィスに入っていくと、Roberとその仕事仲間、仕事仲間の介助犬ルークが迎えてくれた。昼ごはんとコーヒー、デザートまで出してもらいながら、いろんな話を聴いた。

 

 ジャガーの研究をしている、と聞いていたけれど、現在の彼はそこから派生したいくつかのプロジェクトに関わり、自然と人をつなげる活動をしている。舞台はコスタリカの南西、パナマとの国境に近いオサ半島のジャングルと、そのそばに広がる天然のプールのように穏やかな湾、Golfo Dulce.ここは彼のジャガー研究のフィールドでもあって、今から15ねんほど前にジャガーの尿から病気に感染して、ほとんど目を使わない生活になってからは、五感を使って自然を感じることを目的としたトレイルをジャングルの中に作ったり、いろいろな難しさをかかえた子供達が野生のイルカと触れ合う機会を作ったりしている。

 

 Roberは私に、「私の」感じる森や海を表現したらいいと言った。それは、私が兼ねてからやってみたいなとぼんやり思っていたことと重なった。1つは、自然公園のレンジャーになること。鳥の声や、花の匂いや、木の感触に、みんなの心を向けられる人になれたらいいなと思っていた。もう1つは、こうして文章を書くときのために、自分だけの表現を生み出すこと。自然の描写にしても、人の描写にしても、すでによく使われている表現ではなくて、もっと自分の感じ方を適切に表す言葉を見つけられたらいいな・・・という気持ちがあった。だから、彼のプログラムにぐっと惹きつけられた。

 

 もう1つ、彼のプログラムに、自然を使ったセラピーの要素があることにも心惹かれた。いい加減なことをいうようだけれど、現代人はみんな何かしらのセラピーが必要なんじゃないかと思っていたし、自然から元気をもらえることは感覚としてわかったから。森林セラピーやアニマルセラピーに興味を持って、本をたくさん読むようになった。

 

 Rober自身の生き方も、私には面白くてしかたない。コスタリカだけでなく、中南米のあちこちを旅していて、一度も定職に就いたことはないらしい。お金がなくなると、研究者としてのキャリアを武器にあちこちの町や村で講演をして、そのお金でまた次の旅へと繰り出していくのだ。ウミガメの卵を食べたり、エクアドルの山岳地帯の先住民の村に泊まったり、とにかく経験豊富。ちなみにチャンスさえあれば日本にも来たいと。西表島の山猫に会うのが夢だそうだ。

 

 たまたまこの日彼に会えたおかげで、その週の週末にはオサ半島へのフィールドトリップに一緒に連れて行ってもらえて、私がプログラムの話を聴いて抱いた印象は間違っていなかったことがわかった。いや、それ以上だった。コスタリカ大学の音の研究者や、アニマルセラピーの専門家、もちろん地元オサ半島の人たちなど、たくさんの人が関わって、今まさに成長している最中のプログラムであり、自分がそこに関われていることがただただうれしい。

トイレの話

 もーーーね、絶対に、何があっても、この国のトイレに紙を流してはいけないのです。

 

 コスタリカのトイレは水があまり強く流れないから、トイレットペーパーを流すと詰まってしまう。そのことを知らなかった訳ではないのに、いつのまにか頭の隅に追いやられてしまっていた。何も考えずに紙を流していたら、ある日シェアハウスのグループチャットに恐ろしいメッセージが流れた。

 

 1階のトイレ、紙がいっぱい詰まってます!!自分だと思う人は掃除して!!

 

 そこからはもう悪夢。ビニール袋を手にはめて、半泣きになりながら、大好きなお笑いの動画を大音量で流してがんばった。だけどようやく紙を取り除いたと思ったら、何かの加減で水が流れなくて、便座からあふれ出した水が洗面所から廊下まで広がった。必死になって掃除して、自分のと人のとタオルを2枚ダメにして、それでも足りなくて翌日ハウスメイトのお母さんに掃除に来てもらった。

 

 もう、私はこの家から追い出されてもおかしくないようなことをしているわけで。「日本ではどうか分からないけど、ここのトイレはそんなに良くできていないのよ」と言って、怒りもせずに掃除を手伝ってくれたハウスメイトに、ただただ感謝。

 

 今思い返しても本当にぞっとする、こんなことがあったのに、私は未だに無意識に紙を捨ててしまう。紙が手を離れた瞬間に、気づいてあっと叫ぶけどもう遅い。人が自分の習慣から離れるのがどんなに難しいかという話だ。

 

 でもこのおかげで、いろんなことを考えた。トイレの水を流すレバーを押したときには、私たちはもうトイレの外の世界のことを考えているけど、流された紙はどうなるんだろう。誰が処理してくれてるんだろう。私は極普通に使っているつもりでも、ハウスメイトたちより紙の減りが速いのはなんでだろう。

 

 こんなこと、もう一度は嫌だけど、1回は経験できてよかったのかもしれない・・・。

フィンカ・モルフォ

 「もうシャワー浴びた?」

「いや、水が出なかったから、代わりに海で泳いできたよ」

 「あはは、天然のシャワーだ」

 ジャングルの中に貼ったテントのとばり越しに交わされるこんな会話で目を覚ます場所がある。コスタリカ南西部、オサ半島のジャングルにあるパーマカルチャー農場、フィンカ・モルフォだ。私が、前回の記事で書いたバスの旅を経てそこに行ったのは、今からかれこれ1ヶ月前になるのだけれど、今から考えても本当に不思議な場所だった。

 

 海と森の境目がない。ものすごい迫力で茂っている森の中にかろうじて穿たれた小道を、50メートルも歩くと浜辺に出る。背の高い草がたくさん生えている、その下の地面は海の砂。屋外キッチンの脇に吊られたハンモックに仰向けに寝て、地面に両手を伸ばすと、アクセサリーにできそうな綺麗な形の分厚い貝殻がたくさん手に触れる。

 

 この、いろんなものが混ざり合っている感覚は、この農場にいる人々にも共通していた。私が行ったとき、30人弱のメンバーの出身国籍は11カ国。英語とスペイン語と、その他いろいろがぐちゃぐちゃに飛び交い、年齢ももちろんばらばらだ。カップルでもう7回もコスタリカに来ているというフェリックスとダニー、将来カナダに自分の農場を持つために、オンラインでパーマカルチャーの勉強をしているローレン、軍隊に入ってアフガニスタンに駐留した経験のあるナタ、そして自分のやりたいことを探して旅をしているトニー・・・。いろんな思い、私のまだ知らないさまざまなストーリーが、渦巻いているのを感じる。何かに惹かれて、今この秘境にいるということ以外、全員に共通する事なんてないんじゃないか。それは、これだけばらばらな人々が、この小さな国の、その中でも有名な観光地ではなく相当な奥地で、ひととき巡り合っている不思議でもある。面白いな、という感動の一方で、もしここに長期間滞在するなら、自分のことは全部自分で決める覚悟がいるだろうなと思った。

 

 そんなメンバーが一堂に会したのは、夜のカカオセレモニーのときだった。小さなログハウスの中に輪になって座り、中米の先住民の伝統に従って唐辛子を入れたカカオドリンクを飲む。ピリ辛のホットココアを想像してほしい。私はこれがあまり得意ではなかったのだけれど、寒かったせいか、特別な場で飲んだせいか、このときはすんなり喉を通った。皆で波音と虫の声と風の音に耳をすませ、1人ずつ何かしら自分の思いをシェアする。自分たちの声以外、人間の音はしない。歌を歌い、マラカスでリズムを取り、テンションが高まったところで、砂浜に繰り出して、踊る。

 

 夜の浜辺で、音楽に合わせて体を動かし、疲れたらソファーや砂の上に寝転がったり、おしゃべりしたり、犬と戯れたり。途中、料理担当のフェリックスが皆に内緒で作った、チョコとココナッツのお菓子を振舞ってくれた。これを作るのを、私も手伝わせてもらっていたから、なんだかうれしい。なんというか、ものすごく素朴な時間の過ごし方だった。はっきり言って怪しい光景だったと思う。でもこのとき、さっき書いた国籍やら年齢やらが意味をなさなくなっていたのも確か。ただ、人がなにかを表現するときのエネルギーみたいなものを感じた。

 

 次の日はとにかく海水浴。日中は、深い呼吸ができない錯覚に陥るほど暑いので、フレンドリーな女の子たち数人と、ひたすら水に浸かって過ごした。そういえばこの日、オートミールというものを生まれて初めて食べた。私の中ですぐに思い起こされるのは、小さい頃大好きだった、ローラ・インガルス・ワイルダーリンドグレーンの物語。欧米でよく食べられている、子供には人気のない朝ごはんというイメージだった。オート麦を甘く煮込んで、レーズンやマンゴをトッピングする。なかなか馴染みのない食べ物だなぁと思ったけれど、考えてみれば材料はフルーツ入りのパンと一緒だ。

 

 もしもっと長く滞在していたら、もっともっといろんな経験をして、いろんな気づきを得られただろう。今回は3日だけで、しかも週末だけだったので、農場の普段の活動の様子を見られなかったという悔しさが残っている。目下思うのは、あまりにも周囲から隔絶されすぎていやしないかということ。いちばん近くにある町は本当に小さくて、町民全員が顔見知りのようなところなのに、私の乗ったタクシーの運転手さんが場所を訪ねても、誰も農場のことを知らなかった。電話も、何度かけても繋がらなかった。単純に場所が離れているからというより、地元の人たちとの交流が希薄なんじゃないかと心配になってしまう。せっかくのステキな農場とコミュニティ、もっと近所の人に愛されてほしい。

 

 それとも、もっと他の顔があるのか、周囲と一線を画しているところにこそ何かこだわりがあるのか?それを確かめるためにも、いつか必ず、今度はもっと長い期間、この農場で過ごしてみたい。

一人旅

 一人旅、とは言うけれど、それは特定の誰かと全行程を共にしないというだけのこと。道中にはむしろ、誰かと連れ立って行くよりも多くの出会いが待ち受けている。首都サンホセからバスで9時間、パナマとの国境にほど近いオサ半島にある、ジャングルと海に今にも飲み込まれそうなパーマカルチャー農場を訪ねた旅は、現地での体験もさることながら、行き帰りのバスの中でのあれこれが心に残った。

 

 世界各地から集まった人たちが、自分たちで食べ物を育てたり、生ゴミを堆肥にしたり、ヨガや先住民の文化を学んだりしながら暮らしている。この農場のことをフェイスブックで知った私は、迷わず彼らとコンタクトを取って、遊びに行ってもよいかを尋ねた。なんだかとんでもなく遠そうだな・・・とは思ったけれど、長時間座っているのは苦にならない方だし、その1週間前に、最初の頃いたペレスセレドンまで片道3時間半の一人旅をして、自信と勢いがついていたので、あんまり気にはならなかった。そして、当初最低2週間の滞在しか受け入れていないと言っていた農場から、「みんなで相談しました。もっと短い期間でも大丈夫ですよ、ぜひ遊びに来てください」の返事をもらったとき、心が決まった。

 

 朝8時ちょうど、バスはサンホセを出発した。ラテンの国というと、時間にルーズなイメージがあるかもしれないけれど、私の知る限りこの国の長距離バスはほぼ時間通りに出発している。私の座った席は運転席から近く、荷物を入れるネットも壊れていなくて、なかなか快適。携帯を見たりうとうとしたりしていると、あっという間に最初のサービスエリアに到着した。

 

 さて、どうしようか。朝早くの出発だったので、私は朝ごはんをまだ食べていなかった。それに、こういうところで買い物をするのは旅の醍醐味の一つだ。誰か一緒に降りてくれる人を探そう・・・と通路に向かって首を伸ばしていると、すぐに声をかけてくれたおじいさんがいた。彼とその奥さんと一緒にバスを降り、美味しいコーヒーと、エンパナーダ(鶏肉や芋を、小麦粉やトウモロコシの皮で包んだ料理)を食べて、ほっこりしたひとときを過ごした。

 

 聞けばなんとその2人は、私がペレスセレドンでお世話になっていた障害者自立支援センターモルフォの人たちの長年の知り合いで、自身も地元で障害者自立運動をしているとのこと。共通の友達の話題で盛り上がり、初めて会った気がしなかった。人口500万弱の小さな国、これまでにも「えーっ、こことそこが繋がってるの?!」と驚く場面は少なくなかったけれど、それにしてもこれはうれしい偶然だった。それどころか、後々のことを考えると、このときこの2人と同じバスに乗り合わせたのは、ほとんど奇跡と言っていい。

 

 それというのも、バスがサービスエリアを出発してほどなく、農場からメールが届いたのだ。曰く、「今夜は農場のメンバー皆が参加するセレモニーがあるので、夕方5時以降にあなたを受け入れるのは難しい。近くの町に一泊して、明日の朝来てはどうか」と。な、なんでそれを今言うの?サンホセを朝8時に出ている時点で、到着が5時を過ぎるのは必至だ。そしてこの町へのバスは朝8時と昼の12時の2本しかないから、5時より前に着くなんて不可能なのだ。事前に知っていれば、泊まる場所を探すなり、そもそもバスなんかやめて飛行機で行くなり、やりようもあるのだけれど、そのときはなんの準備もなかった。まぁ、これも旅の醍醐味。今のうちにオンラインでホテルを予約して、向こうに着いたらタクシーを呼んで・・・といろいろ考えたけれど、この辺りに不案内な私が一人で考えるよりはと、結局先ほどの2人に相談することにした。

 

 すると当たり前のように、「じゃぁ今日はうちに泊まっていけばいいよ」と。ある程度身元が知れているとはいえ、初対面の私を、快く招いてくれた。結局その日は、当初の目的地より少し手前の小さな町にある彼らの家で、ご飯とコーヒーとシャワーとベッドを与えてもらった。首都の喧騒から遠く離れた本当に静かな田舎町で、スコールを避けて庭の屋根の下に置かれたソファーに座り、その日初めて会った人たちとコーヒーを飲んでいると、なんだかものすごく遠い異質な場所にきてしまったような、それでいて馴染みの場所でくつろいでいるような、なんともいえぬ不思議な心地になった。

 

 さらに彼らとの出会いが、もう1つ新たな出会いへと繋がった。以前から噂に聞いていた、視覚障害者でジャガーの研究をしているブラジル人男性を、2人が私に紹介してくれたのだ。彼と行った冒険についても、近いうちにここで紹介したい。将来私がやってみたいと思っていることに、具体的な形を与えてくれた、とんでもなくワイルド且つクレイジーな旅だった。

 

 忘れられない出会いは、農場からの帰りのバスの中にもあった。やっぱりサービスエリアでのこと、初対面のおばさんが、お手洗いに行くのを手伝ってくれた。さらに私が持ち帰り用のコーヒーを買いたいと言うと、「あなたは先にバスに乗って待っていて。私が買って持って行くから。その方が簡単でしょう?」と言ってくれる。そんなもんかなぁと思っていると、なんとその人はコーヒー以外に大きなチーズ入りのトルティージャを買ってきてくれて、しかもお金はいらないと言うのだ。日本みたいに、「いえいえ」、「そんなそんな」を連発し合う文化ではないので、優しさはありがたく受けることにした。物静かな人で、結局名前も聴かずに別れてしまったけれど、いったい今どこでどうしているんだろう。

 

 私の中に、小さな暖かい物語がこうしてどんどん積もっていく。改めて思う。生きてるんじゃない。生かされてるんだ!

4月を振り返る

 月に一度、私の留学を支援してくれているダスキン奨学金事務局に、研修内容報告レポートを提出する。その内容をここでもシェアしつつ、遅まきながら先月のあれこれを振り返ってみたい。

 

 先月は、インターンである国連開発計画のオフィスの人たちと、今までと比べ物にならないほどたくさん話すことができ、そのおかげでいつもと少し毛色の違う仕事をもらえた。いちばん大きかったのは、「オフィスの中だけじゃなく実際に街中に出て働いてみたい」というかねてからの希望が叶い、週末行われたゴミ拾いキャンペーンに参加したことだ。現場はサンホセ中心街の大きな道路の脇で、朝8時半に行くと、すでに30人ほどが集まって、軍手や巨大ゴミ袋、飲み物などを用意していた。外国人で白杖を持っていた私はかなり異色だ?ったらしく、キャンペーンに参加すると思われなくて、近づいて行くと皆「どこ行くの?」と聴いてきた。ちなみにゴミ拾いの最中には主催者からインタビューを受け、「私はコスタリカの環境事情にすごく興味があって、こうして実際の活動に関われてとてもうれしい」というようなことを話したところ、数日後にそれが公共のニュースになって国中に流れてしまった。映像を撮られていたことすら気づいていなかったので、ものすごくびっくりした。

 

 道路脇には、ペットボトルやガラス瓶、ボール紙、本来使い捨てではないはずの食べ物を入れるタッパーなど、ありとあらゆるゴミが散乱していて、観光地の美しさを知っているだけにそのギャップが強烈に迫ってきた。誰かがこのキャンペーンのために、予めどこかから拾い集めておいたんじゃないかと、勘ぐりたくなるほどだった。車の窓からポイ捨てしていく人が多いらしい。前にUverの運転手さんが、「コスタリカでは、政府がいろんな先進的な政策をやっているけれど、普通の人の意識はそこまで高くない」と言っていたのは、こういうことだったのだろうか。ツーリズムは国の大事な産業だから、政府が力を入れて環境を整備しているけれど、街の人たち一人一人はそこまで日々の生活の中で環境を意識することはない。ここには分別のシステムもあまりなくて、皆一緒くたに捨てている。環境先進国とは言われつつも、ごみ問題は都市には付き物なのだと思う。等身大のコスタリカを知れてよかった。

 

 その他オフィスワークとしては、国連開発計画コスタリカオフィスのホームページを音声の出るパソコンで読む際、どこをどんな風に変えたらもっと読みやすくなるかを、私なりにまとめたレポートを作った。たとえば、写真にタイトルを付けるときには本文の一部だと勘違いしないように先に写真であることを明記する、レイアウトを変える、スペイン語と英語が1つのページの中でなるべく混ざらないようにする、など。私自身パソコンが苦手だから、もしかしたら私が知らないだけでもっと上手に読む方法があるのかも・・・とも思うけれど、とにかくまた一つ形になるものを残せてほっとした。

 

   仕事以外だと、インターン先の先輩とその旦那さんと一緒に、サンホセ中心街にある国立博物館に行ったのが良い思い出だ。コスタリカで発掘された古生物や人類の化石から、コロンブス到達以前の先住民の暮らし、スペイン人による征服と、その後に発展したコーヒーやサトウキビ産業、1948年の内戦と軍隊の廃止、医療の発達など、コスタリカの歴史を一望できる有名な観光スポット。先輩は、私が触れる物があるかを心配してくれていたけれど、私にとってうれしいことは彼女たちと一緒に出かけられることだ。実際に行ってみると、係のおじさんがほとんど私たちにつきっきりになって、本来は触ってはいけない物を触らせてくれたり、もうしまっているエリアをわざわざ私たちのために開けてくれたり。まさに至れり尽くせりの応対をしてくれた。『博物館のアクセシビリティに関して、コスタリカはまだまだ遅れてるんだよ」と先輩は言っていたけれど、たとえ視覚障害者が来館したときの対応マニュアルがなくたって、ここにはそのおじさんから直接私へ向けられた、‘Bienvenida(ようこそ)’の笑顔がある。

 

   印象に残ったのは、ジャガーの剥製と、先住民の石のアート。前者はとにかく、その爪と牙の鋭さに驚いた。ネコ科の動物だからなんとなく形のイメージはあったけれど、初めてサイズ感を掴むこともできた。背中から覆いかぶさったら、首に腕を回してちょうどよくハグできそうだ。いつか本物に会いたい。後者は3本足のテーブルのようなもので、それぞれの足が天界、地上、地下の世界を表すらしい。テーブルの表面は上向きに沿っていて、縁には猿やワニ、オオハシなどの立体的な彫刻がいくつも施されている。1つの岩から切り出したとは到底信じられない精巧さだった。

 

   4月は、「何かが動き出した」と感じた月で、この振り返りをしている最中にも新たなことがいろいろと起こっている。続く記事でまた少しずつご紹介していきたい。

カフェオレで乾杯!コスタリカ生活初、1人で買い物に行った日

   スターバックスのマークの入った瓶入りコーヒー牛乳で、1人祝杯をあげている。

   今日は、コスタリカ滞在6ヶ月目にして初めて1人でスーパーに買い物に行った、記念すべき日だから。

  スーパーの入り口まで行って、店員さんに介助を頼み、売り場を一緒に回って買いたい物を一緒に探してもらう。日本の大学で寮暮らしをしていたときにはよくやっていたし、食材選びついでにどんな調理法が美味しいのか店員さんに教わるのが楽しみでもあったのだけれど、ここコスタリカで同じことをするためには、自分の中でかなり高いハードルを越えなくてはならなかった。他に介助を頼んでくるお客さんなんているのかな?買いたい物をうまくスペイン語で伝えられるかな?初対面の人の前でお金を扱って大丈夫かな?特に最期のリスクが頭から離れず、長いこと決心がつかなかった。初めての場所に1人で行くことも、初対面の人と話すことも、特別苦手ではないはずなのに、自分でもおかしいぐらい緊張して、電話番号をタップしながら携帯を握りつぶしそうだった。

 

   それでも覚悟を決めて、いきなり押しかけるよりはと、前もってスーパーに電話をかけた。最後に背中を押してくれたのは、今までこの国で出会ったほとんどすべての人に、素晴らしく暖かく親切にしてもらってきた経験だった。全く、返ってこちらが戸惑うほどに、異邦人の私と自然に接してくれる。きっと今回も大丈夫だ・・・。

 

   「私目が見えないんですけど、1人で買い物に行きたいんです。買う物を一緒に探してもらうことはできますか?」呼び出し音が鳴っている間はがちがちだったけれど、電話口に人が出たら体の力が抜けた。はたして店員と思しきおばちゃんの答えは「もちろんどうぞ」。大して重大な事とも思っていないのか、「じゃ、今から行きます!」と勇んで告げたときには、あっさり電話を切られていた。

 

   ちなみに、この国で私が1人で動き回るのに欠かせないのが、グーグルマップとUverだ。グーグルマップの方は、メインの地図機能ではなくて、住所や到着までにかかる時間からその場所のおおよその見当をつけたり、問い合わせの電話をかけたりするのに使う。ホームページと違って情報が少ないから返って使いやすい。そして場所がわかったらUverを呼ぶ。アプリに目的地を入れると、登録されている車の中でそのとき一番近くを走っているものが迎えにきてくれる。速いし、安いし、安全だし、運転手さんとのマンツーマンの会話のレッスンが付いているようなものだ。あまりの便利さに、私は今住んでいる家の周りを1人で歩く練習をすっぱりやめてしまった。このサービス、いつ日本にやって来るんだろう?

 

   とにかくそうしてスーパーの入り口までたどり着き、乗ってきたUverの運転手さんから警備のおばちゃんへ、そして店員のお兄さんへとバトンタッチされた。事前に電話をしてあったからといって、特に情報が共有されていた風でもなかったけれど、皆気持ちよく私を案内してくれた。私が買いたい物を伝え、カートを押しながら一緒に歩く。たとえば鶏肉1つ買うのでも、丸のままなのかもも肉なのか、骨つきなのか骨無しなのか、いくつ入っているのかなど、選択肢はいろいろあって、1つに絞るまでに結構密なコミュニケーションが必要で、最初はお互い少し大変だった。なにしろ、食べ物を描写するのは難しい。でも店員さんはなんでも棚から取って触らせてくれたし、途中から「ここには他にもこんなものが売っていて」と誘惑もとい説明をしてくれるようになったし、何より私の希望に叶う物が見つかるまで根気よく探してくれたので、やりとりもだんだんスムーズになった。彼は日本のアニメが好きだそうで、買い物以外の話もいろいろした。余談だがここコスタリカでも日本のアニメは大人気。アニメのキャラが食べているせいもあって、ラーメンや味噌汁も大人気だ。

 

   面白かったのは、チーズを選びに行ったときのこと。いろいろなタイプのチーズがあったのだけれど、私のほしい形状のものがなく、彼の勧めでチーズばかりを量り売りしているコーナーに行った。そこで1キロの塊を触らせてもらっていると、売り場のお姉さんが1切れスライスして、「はい、味見してごらん」と。市場や個人経営のお店ならいざ知らず、スーパーの一角だ。試食コーナーでもない。単に私が選んでいるのを見て、1切れサービスしてくれたのだ。こういうことがあると、思い切って出てきてよかったなと思う。

 

   かくして必要な物を全て買い、当初買う予定のなかった物まで買い込んだ。案内してくれた店員さんは、私が帰りのUverに乗るところまで見届けて、「ぼくは毎日ここで働いてるから、また来たらいつでも手伝うよ」と言ってくれた。たぶん本当に、次に行ったら私の名前を呼んで近寄ってきてくれるだろう。博物館でもレストランでも銀行でも、一度行くと覚えていて声をかけてくれるのがこの国だ。

 

   こうしてコスタリカに来て初めて、正確には1月に首都に移って、自分で食べ物を調達する生活になって初めて、1人で買い物ができた。1人でカフェに入ったり、趣旨もよくわからないままフェイスブックで見つけたイベントにいきなり飛び込んだりするくせに、スーパーでの買い物にはなぜか相当勇気が必要で、だからこそ達成感でいっぱいになった。

 

   これからも今まで通り、ハウスメイトたちに手伝ってもらって買い物することが多いだろう。なんといったって、その方が簡単だし楽しいから。でも、たとえ彼女たちが忙しくても、今日から私は1人で買い物に行ける!そう、自分で買ったカフェオレの味は、人と買うより何倍もおいしいのだ!