コスタリカから、今だけの小さな物語

ダスキンあいのわ基金障害者リーダー育成海外研修派遣事業 第38期派遣生 コスタリカ留学中の全盲女子大生です!

何か大きな物

 こちらに来て、1つ念願が叶った。巨大な木の中を水が流れる振動を感じることができたのだ。

 

 日の出の瞬間、大きな木の幹に耳をつけていると、木が地面から一気に水を吸い上げる音が聞こえるよ。わたしにそれを教えてくれたのは、もう20年以上オーストラリアで先住民アボリジニの人々と暮らしを共にしている、日本人の友人だった。今からかれこれ5年ほど前のことだ。それ以来、いつかその音を聴いてみたいと思い続け、冬の夜明けに家を抜け出して、1人近所の林に分け入り、手近な木に抱きついていたこともあった。

 

 その音をついに聴けたのは、オサ半島のジャングルで、時間は明け方ではなく夜更けだった。それは同時に、「大きな木」の概念を覆された瞬間だった。あまりに太くて、両手を広げて抱きついたところで、なんとなく丸みを帯びた壁でしかない。周りに鬱蒼と他の植物が生い茂っていて、一周回ってみることができなかったので、実際どれぐらい太かったのか、正直よくわからない。ああ、オーストラリアの友人も、これぐらいの巨木をイメージして言っていたんだなと思った。

 

 音、音と書いてきたが、より印象に残っているのは、肌で感じた振動だ。木の幹に押し当てた手のひらやほっぺに、ひんやり湿った樹皮の下を絶え間なく流れる水の感触が確かに伝わってきた。水道管や水撒きホースを触ったときのようであり、鉄やゴムではなく樹皮を間に置いている文、水流の感触はより柔らかかった。そして、その巨大な幹のどこを触っても、水は同じに流れていた。それもなかなかの速さで。

 

 この文章をあの木が読んだら、「なに、そんな当たり前のことを」と枝をすくめるに違いない。森の動物や鳥たちも、みんな知っていることなのだろう。夜の森で、木に頬を押し当てていたときには、その木が水を吸い上げて生きているということが、わたしの中にもごく当たり前に染み込んできた。しかし一度森を後にして、改めてあの感触を思い返すと、やはり信じられない気がしてくる。あの中では、動植物たちの感覚が「普通のこと」としてまかり通っており、それを知らないわたしは完璧な異邦人だった。